海辺のアップサイクリスト

価値観の見直しによって生活を好循環させること

「飛ばない鳥」

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皆さんは、飛ばない鳥と聞いて何を思い浮かべるだろうか?

 

ダチョウ、エミューヒクイドリ、キーウィ、ヤンバルクイナ、ペンギン等だろうか。

 

これらの鳥は、正式には飛翔能力が欠如しているので、飛びたくても飛べない、つまり飛べない鳥である。

 

飛べない鳥ではなく、敢えて飛ばない鳥を初めて見た。

 

仕事から帰った夕闇の中、玄関先にネズミの様な黒い影。

その黒い影は微動だにせず、小さいながらも、私に何だかわからない恐怖感と生理的嫌悪感を抱かせるには充分な存在だった。

それから逃れる為大声で追っ払った・・・。

の筈だった。

  

私は至って単純な人間だ。

 

恐怖感から嫌悪感に移行した時点でつい殺生をしてしまう。

 

ネズミ、ゴキブリ、ムカデ、スズメバチ等である。

 

つまり、この物体をネズミと認識した私は、

条件はクリアだ!

 

と脳が殺生の指令を出していた。

 

カッコ良く言えば、健康面での被害を察知したセンサーが防衛本能を呼び覚まし、対象物を破壊する。

 

とういうことだ。

 

生物を殺すことは残酷かもしれない。

 

人も、その他の生物も、殺生する対象を選びながら生きている。

 

人なら、鳥、豚、牛、その他食肉、野菜等

 

害は無くとも食べる為に殺生。

 

おっと、脱線。

 

カッコ良いというよりも、理屈ぽい変な気持ち悪さが前面に出てしまった。

 

そんなことはどうでも良い。

 

話しを勝手に戻す。

 

本当に殺生の対象なのか? どうでも良い対象なのか?

 

恐る恐る近づく。

 

小鳥だった。

 

目はクリッとして嘴は真っすぐ。

 

非常に愛らしい鳥だった。

 

興味本位で顔を近づけても動かない。呼吸し立っている。

 

指でゆっくり小突いてみたが避けることもしなかった。

 

病気やケガで弱っているのか?

 

鈍感なのか?

 

いや、もしかすると肝が据わっているのかも

 

等と、目の前の鳥に想像は飛躍した。

 

「病気やケガだったら治療して放鳥しよう」

 

まずは状態の確認だ。

 

生物種差別主義者の私は、臆面もなくこの鳥を優しく両手で包んだ。

 

羽毛と体温で生物としての温もりを確認

 

そして、羽を強制的に広げたが外傷は無かった。

 

残るは病気か?

 

だとするとこれは厄介だ。

 

鳥インフルエンザの可能性だってある。

 

今更だ。

間抜けな俺。

 

落ち着きを失った素人はどうして良いかわからなくなった。

 

試しに両手で覆った小鳥を空に向かって放った。

 

飛んだ!

 

力強い羽ばたきだ。

 

良かった!

 

でも何故、今まで逃げなかったのだろう?

 

危険が及んだ時、殆どの動物は身を守るためそこから遠ざかる。

 

つまり退避行動をとる。

 

防衛本能はどうした? 

 

忘れてしまった馬鹿な鳥なのか?

 

いや、待てよ、もしかして本当は高度に状況判断をして行動しているんじゃないか?

 

野鳥の会のような専門家だったならわかるだろうが、鳥に関心が無かった私はその生態を探るべくググっていた。

 

作物を荒らす害鳥ではない為、人間が追い払わない。

だから、人間に対する警戒心が薄れている。

 

飛ぶ方がエネルギーを使うので、歩いても逃げられると分かっていたら飛ばない。

 

人間を利用していきる鳥だということ。

 

そうか、そんな鳥だったのか。

 

親近感を覚えてしまった。

 

セキレイ

 

彼方に飛んでいくこの鳥を見ながら

 

私も飛べないのではなく、飛ばなかっただけかもしれない。

 

そう自分に言い聞かせていた。

  

「遅蒔きながら、やはり、飛ぶ鳥落とす勢いで出世したい」

 

鳴かず飛ばずの私の心には

 

妙にポジティブな小鳥がさえずっていた。

 

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