「道化の涙に映る虹」第36話
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カーテンを超えて貴男の薄目に容赦なく差し込む日差し。そして、鮮やかなブルー。
否応が無くポートレートを撮って来いと言わんばかりの快晴だった。
昼まで寝たいという誘惑を断ち切り、貴男は布団を跳ね除け飛び起きた。
仕事以外で他人の都合に合わせるのは久しぶりだった。
まるでデートに行く様な浮かれた気分で洗面所に行く。
洗口液を口に含んで歯ブラシ手にした時、腹の虫が鳴った。
そうだ、慌てる必要など無い。貴男は、鏡に映る自分の苦笑いを初めて見た。
歯磨きを一旦止め、水で口を濯ぐとキッチンに向かった。
冷蔵庫の扉を左手で押さえ、右手で中にある酸味の効いた紅玉を頬張った。
いつも感じる二日酔いの不快さは全く無かった。
現時点で年齢はクリアしているが、アンナはジジイが嫌だと言っていた。
痛い若作りは避けつつも、年相応も危ない。
朝風呂に入り、念入りに髪をセットした後、海辺の景色に映えるような紺のジャケット、ブルーのグラデーションのシャツ、白のパンツ、当り障りのないワードローブを選んだ。
二度と味わうことが無いと思っていた高揚感が貴男をくすぐっていた。
身支度を整えていくうちに徐々に生きている実感が蘇ってきた。
玄関のドアを空けると、潮風が吹き込んできた。
貴男は深呼吸をすると、車に向かった。
晴れ渡る空と、眩い海のコンビネーションの美しさは、本当の意味で近くに住む者にしかわからない。
自撮りだけなのに、アンナと海に行く様な錯覚に捉われた貴男だった。