海辺のアップサイクリスト

価値観の見直しによって生活を好循環させること

「生きることは痛みに耐えること」

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他人に改めて痛々しい等と言われるまでもなく、痛みに耐えながら生きる自分。

 

人生は本当に辛い。

 

周囲の人を見てもそう思う。 心の痛み、身体の痛み。

 

 

辛くないと言う人間は、強がりか、鈍感か、本当に恵まれた者。

 

生きるということは生物だけの概念だと思うが、存在という概念は生物以外にも適用される。

 

ここで言う生物とは、ナマモノではなくセイブツ。

 

ナマモノならば対義語は干物ということになる。干物は確かに美味い!

 

話しを元に戻そう。

 

己の存在価値に悩み、疑問に思う生物、人。

 

その対義語の無生物の場合はどうだろう。

 

無生物が悩む?疑問?

 

頭おかしいんじゃないか?  そう思うのは自由。

 

もとより他の生物や無生物とはコミュニケーションがとれない人間。

 

身近な生物、犬や猫を思うと、人と共通言語を持たない存在とコミュニケーションを取る方法が何かある筈と思う自分が居る。

 

存在とは森羅万象であり、万物を肯定し、そこに居るということ。

 

勿論、生きると言うことも内包されている。

 

存在価値に悩む宇宙があるとすれば…。

 

当然、宇宙はそれを解明したいだろう。

 

古今東西ずっと世知辛いのは、その解明を目的とした生物学的な壮大な実験場の地球においては、至極当然と言えば当然なのかもしれない。

 

人は、宇宙のモルモットの一つに過ぎないのかもしれない。

 

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