「道化の涙に映る虹」第26話
前話
ディスプレイの消えたスマホを握ったまま茫然自失となった貴男。
暫くすると、心は惨めな気持ちで大量出血を起していた。
応急処置が必要だったが、夜中の救急病院は24時間営業のスーパーしか無かった。
トールワゴンは救急車の如く近くのスーパーに着いた。
貴男は閑散とした店内を大股で歩き、一番好きなバーボンをカゴに入れた。陳列棚の中では一番値段が高く、滅多に買わないものだった。
そして、総菜の見切り品コーナーで、救いを求める様にまばらに残った揚げ物をカゴに投げ込むと脇目も振らずレジに直行し家路を急いだ。
グラスで飲み始めたバーボンは、いつしかボトルのラッパ飲みとなりあっという間に空になった。
冷蔵庫に常備していた紙パックの焼酎もあおり、いつの間にか眠っていた。
数時間程して、貴男は自分のくしゃみで目覚めた。
見慣れない景色に一瞬焦るが、それは錯覚で、自宅のリビングであることに気付く。
当然服も着替えてはいなかった。
この日は休日の為、貴男は酒臭い身体を朝からゆっくり湯船に沈めることができた。
浴室に射し込む朝日に蒸気の粒子が舞う。
貴男は、それを眺めながら、深い喪失感を忘れる方法を思案していた。
このショックから立ち直るには、反対側に針が振り切れるぐらい突拍子もない出来事が必要だと思った。
しかし、思いを巡らしてもそう簡単には出てこなかった。
ドライヤーで髪を乾かしながら何気なく足元を見る。視界に入ったのはゴミ箱からはみ出た一枚のチラシ。
東京オリンピックのオフィシャルスポンサーを知らせる企業のチラシであった。
オリンピック…。
今までとは真逆の世界。この際、外国人の彼女をつくるのも良いかもしれないと唐突に思った。
黙っていても、何かに翻弄されるであろう現実に、沙織を忘れることができるのではないかと期待した。
PCを開くと早速検索した。
露骨な国際結婚や出会い系、如何わしいサイトの登録は避け、ペンパルサイトの友達募集に登録した。わざとプロセスに時間が掛かる方を選んだのだ。
若い頃に海外主張や留学の経験もあり、フランス人、イタリア人、アメリカ人の女性とも付き合た経験があるので、外国人に全く抵抗が無かった。
男の浅はかな思考で、どうせ彼女にするなら世界一の美人が多くいる国と、ウクライナの女性にコンタクトを取ることにした。
アップサイクルの原点
皆さんは愛着があるモノとお別れする時、寂しくなったりしませんか?
私は寂しくなります。
長年世話になったモノは、生活の一部となり、身体の一部となり、思い出などもあるでしょう。
でも、やがて古くなって、壊れたり使わなくなったりする。
それをそのまま所持していると、極端な例としてゴミ屋敷になってしまう。
もし、省スペースの違う形として蘇り、身近に感じることができれば
それがアップサイクルの原点です。
「道化の涙に映る虹」第25話
深々としたお辞儀に、沙織の心境の変化を感じ取った貴男だった。
空白の二年。沙織に何があったのか?
寝付けずにいた貴男は、天井を見つめ当ての無い自問を繰り返していた。
決着をつけるため、沙織に確かめようとも思ったが、そうすることで二人の関係が終わってしまうことも危惧していた。
推敲を重ねた翌日の長文は
「何か僕に言い忘れたこと無い?」
と変化していた。
程無くして沙織からの返信
「電話で話したい。都合が良い時間教えてください」
その日の夜10時に、滅多に鳴らない音色の着信音が乾いたリビングに響く。
貴男はスマホをフリックして耳にあてる。
「こんばんは」
「こんばんは。実は大事なことを伝えたくて…、この間会った時に話そうと思ったけど…、なかなか言い出せなかった」
躊躇いがちに話す沙織。
「何かな」
今後の展開の覚悟を決める貴男の心拍数は上がる。
「実は一年ぐらい前に帰宅途中に交通事故に遭って」
「えっ!そうだったの?大丈夫なの?」
「うん。腕20針縫っちゃった。この辺、救急病院はうちだけだから、まさか自分が働いている所に入院するとはね」
「そうだったのか。知らなかった」
「それでね…」
突然沙織の声は上擦る。
「何?」
「うん…。あのね…形成外科の執刀医だった人、私の手術した…」
「うん」
「早くに奥様を亡くしていて、小さな男の子がいるの」
「それで」
「うん……。あの、単刀直入に言うけど、実は婚約したの」
貴男の嫌な予感は的中した。
結婚に失敗した負い目があり、略奪して幸せにするなどとロマンチックなことは言えない、貴男は黙って聞くしかなかった。
もっと早く連絡をとるべきだった。二年の空白を今更ながら悔やんだ。
「そうか。そうだったのか。おめでとう」
貴男は、ジェラシー、プライド、喪失感の微妙な葛藤と混乱の中で返事をした。
離婚の辛さを分かち合った似た者同士、沙織の幸せを祝福してやりたいという気持ちと醜態を晒すのは避けたいという気持ちの方が勝ったのだ。
「今度こそ僕の分まで幸せを掴んで欲しい」
とだけ伝えると
沙織は
「幸せになります。本当に今までありがとう。体に気をつけてください。さようなら」
「さよなら」
電話を切った貴男に喪失感の大波が一気に押し寄せた。
自分が悲しい思いをした分、他人は幸せになる。自分は幸せではないが他人の役には立っている。自分の心が浸食されても、これで一人の人間に新たな道を歩ませることができる。傍から見れば滑稽でも、そう思うことでバランスを取り、この波を乗り切ろうと思う貴男だった。
「道化の涙に映る虹」第24話
前話
あれから二年。
狭い町ゆえ、知り合いの車に遭遇することはちょくちょくあったが、沙織の車と遭遇するのは初めてであった。
二年も出会うことが無かった事実に、何故だと思う反面、素直に運命と信じても良いと貴男は思った。
貴男からの短文メールに対し、沙織の長文メール。
当ての無い期待に勇気づけられた貴男は、沙織に逢いたいと返信した。
すぐに沙織から返信があり、海岸沿いに遊歩道がある公園で四日後に逢うことになった。
シャンプーの香りを纏う沙織の黒髪は、ショートとなり洗練された色気があった。
服の趣味も変わったように感じた。
思い出話と近況を話すうちに日はとっぷりと暮れた。
貴男は、公園の近くの干物が美味しい定食屋に沙織を誘った。
沙織と別れた後は、誰も助手席には乗せていなかった。
以前の様に、ここは私の特等席と言わんばかりに、躊躇すること無く助手席に座る沙織に愛おしく貴男は感じた。
隣に座る沙織の温もりと、彼女に記憶を上書きされていなかったと感じる喜びに浸った貴男は、傍から見れば滑稽なほどの大袈裟な手振り身振りとなって沙織の前で存分に披露されていた。
沙織も貴男との再会を喜んでいた。
貴男が沙織に、飲みに行こうと誘うが、根が生えそうだからと断られた。
別れ際、貴男の車のバックミラーに映る小さな沙織は何故か深々とお辞儀をしていた。
貴男は違和感を覚えていた。
「道化の涙に映る虹」第23話
前話
二日程して沙織からメールが入っていた。
「こんばんは この間はごめんなさいm(_ _)m 医療事務は初めてなので、覚えることがたくさんあってなかなか時間が取れませんでした。貴男さんに逢いたいけど、当分の間は、以前の様に時間が作れないかもしれません。(T_T)こちらが落ち着くまで待ってもらえるとうれしいけど(*^^*)」
「そうか、大変そうだね。どんなことやってるの?」
「うん。受付とか会計の手伝い、あとレセプト業務の手伝い。カルテの整理や電話応対、予約管理、そして、掃除とか雑用」
「レセプトって?」
「診療報酬明細書のことです」
「点数でやるやつ?」
「そう。あと、まだ何もわかんないから患者のクレーム対応とかもしんどい…。先輩にもイジメられないように頑張らないとo(^o^)o」
「そうか、辛いことがあったらいつでも連絡するんだよ」
「うん(*^-^)」
それからは毎日、二人の間で一日数回のメールと電話のラリーが続いた。
貴男の方も、仕事の量が増え、重要な仕事も任されるようになっていた。
逢えないことが当たり前のようになっていた二人。当初は言い合いにもなっていたが
いつしか、季節の移ろいとともにメールの行間が空き始めていた。
沙織のことが気になっていた貴男だが、追いかけることが、事態を好転させるとは思えなく放置していた。
事務所でコピーをとっている貴男の背中を指で突かれた。
驚いて振り向くと真顔の奈緒美がいた。
「あのさ、最近、沙織から連絡無いんだよね。前は私からメールするとそれなりに返信があったけど、こっちからメールしても返ってこなくなったんだ。辞めたあとはしょっちゅう連絡し合っていたけど。やっぱり私、沙織に何か悪い事したのかな?貴男さんから言ってもらえない?」
「連絡するように?」
「うん」
「わかった。言っておくよ」
貴男は安請け合いをした。実は自分も連絡取り合っていないとは言い出せないでいた。
僕たちのことは過去のこととして忘れたいのだろうか?
貴男は、ますます沙織に連絡してはいけないのではないかと思うようになった。
時々沙織のことを思う日があり、深酒した時は連絡したいという衝動に駆られたが結局連絡できなかった。
二人は自然消滅の形に納まっていった。
「道化の涙に映る虹」第22話
沙織が退職した後、販売部長とパートが売店業務を行っていたが、三週間後には新入社員がレジに就いた。
沙織の姿が売店に無くても、プライベートで繋がった貴男には寂しさは無かった。
しばらくして、沙織に新しい勤め口が決まった。病院の事務だった。
「今日、仕事終わったら家に来る?新鮮なサザエが大量に入ったんだ *^-^*」
沙織から貴男の業務終了20分前にメールが入る。
貴男はトイレに行くことを同僚に告げ返信する。
「ゴメン、明日、お客の忘れ物を届けなければならないんだ。知っての通り本来なら配送だけど、神奈川だから朝一で直接届けろと言うんだ。本当にゴメン (TmT)」
「仕方ないね(^_^)」
「今日夜勤じゃないよね。無性に逢いたい。ダメかな?」
「ごめんね<(_ _)> 今日夜勤なんだ」
互いの様子が見えなくなり、次第にすれ違いが多くなっていった。
逢えないのは自分にも原因があるにも拘わらず、避けられているように勘ぐった貴男は苛立ちを募らせ
「逢いたくないなら別れよう」
酔いに任せ、本心ではないメールを送信した。
一時間経過しても沙織から返信が無かったことから、貴男は駄々をこねた自分を恥じていた。
それから20分ぐらいして、沙織から
「 (*T_T*) 」
とだけ返ってきた。
深酒の貴男は着信に気付かず寝てしまっていた。
翌朝、貴男は
「昨日は大人げなかったゴメン」
と送信した。
その日、沙織からの返信は無かった。